「ゆらぎ」とは?
【歴史・文化遺産】
朝里に根付く歴史と文化の証たち
  職人技術と地域の産業
「小樽職人の会」の会員が、朝里地区にも活躍中です。しめ縄師の田中久三さんら数名が、伝統技術を今日に伝えています。また、新光地区には、世界的な不凍給水栓などの技術を誇る「光合金」、木工家具製作の数社で形成する「木工団地」などがあり、地域の産業を担っています。
  ゆらぎ街道(道道1号線)
定山和尚は、定山渓と朝里間の道路開通を熱望し、明治9年に測量までしますが、実現しませんでした。その後半世紀を経て、有料道路として昭和8年に開通しました。近年は、定山渓との冬期開通も実現。「ゆらぎ街道」と通称も決まりました。
  アイヌの砦「桜チャシ」
昭和32年、小樽市内の考古学者の調査で明らかになったチャシ。17世紀頃の築造といわれ、和人との交易や交流の拠点として利用したと考えられており、周囲の桜町台地遺跡とともに、貴重な歴史遺産となっています。
  太平山
太平山碑は、1857年に朝里の鍛冶屋の柴田長太郎が発願して建立されました。魂入れは定山和尚が行い、碑に文字を彫ったのは手宮洞窟(国重要文化財)を発見したという石工長兵衛なのです。祠の建立祭は1867年。以来、今日まで130年以上にわたり、朝里の関係者によって、毎年8月にお祭りが続けられています。
  町田先生と朝里小学校
朝里小学校は、明治9年、朝里の海岸沿いに朝里教育所が開設されたのが始まりです。小樽の小学校でも最古参の一つです。現在は後志管内で児童数が最大規模となりました。町田外也は、明治21年から32年間朝里小学校の校長をされ、朝里村民に大変慕われました。(写真は町田先生頌徳碑)。
  朝里中学校
中山美穂らが出演した映画「ラブレター」の舞台となりました。
  朝里神社
1834(天保5)年、朝里村に稲荷神社が建立され、1875(明治8)年に村社となり、1917(大正6)年に現在地に移転し、祀られています。神社例大祭は9月初旬、かつてのにぎやかさがよみがえってきました。
  豊倉小学校
大正元年開校、朝里川温泉郷にほど近い文治沢地区にある、全校児童約40人の小学校。地域の人や保護者などが、自ら校庭作りに参加したり、資源回収などを通して学校運営に協力するなど、地域一帯となった教育活動を実施しています。
  柾里神社と松前神楽約
350年の歴史がある松前神楽(国指定記録選択の無形民俗文化財)が、小樽で最初に伝承されたのが柾里神社。小高い丘にある神社の境内からは、朝里の浜が一望できます。
  JR朝里駅
北の未開の地北海道に、日本三番目の鉄路が敷かれました。日本の近代化を進める石炭を東京に搬出するためでした。また、この鉄路によって北海道が拓け、人々の生命線ともなりました。今は無人駅となっている朝里駅。日本海側の駅としては、海岸線に一番近い立地にあります。
  三太郎地蔵
柾里地蔵尊堂の中に、三太郎地蔵が祀られています。この地蔵は、1862年中山三太郎が親子兄弟7人を、神威古潭沖の海難事故で失い、深い悲しみの後供養のため建立しました。
  義経隊道(小樽市張碓地区に現存)
明治13年、クロフォードが工事を指揮した、幌内鉄道の開業当時の素掘りトンネル跡。アメリカの開拓鉄道を模範とした好例。今となっては、当時を偲ぶ貴重な産業文化遺産です。
  朝里の農業
朝里の農業昭和15年まで「朝里村」だった時代、農業は朝里の基幹産業でした。年々都市化が進み農家も激減しましたが、今でも数戸は朝里の畑作農家として農作物を生産しています。
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