「ゆらぎ」とは?
【朝里の人と物語】
朝里に生きた人々の今もなお、語り継がれる物語
  松浦武四郎
「世界的な北方探検家。北海道名の名付け親。1818〜1888、三重県三雲村出身。
蝦夷地を6度に渡って踏破。蝦夷の情況を詳細に調査。北辺防備とアイヌ民族救済の急務を切々と訴え続けました。
朝里に2度やって来て、1856年にカムイコタンの岩壁崩れの件、魚留の滝の見事さを「西蝦夷日誌第四編ヲタルナイ」に書きとめました。
  お小夜、清吉の実らぬ恋の物語
朝里に残る悲恋の実話。
1856年、積丹神威岬の婦女通過が解禁された年、張碓で漁場の鎮座祭があり、高島場所の西川伝衛門の娘16歳のお小夜と、朝里漁場の五十嵐清蔵の息子20歳の清吉が出会った。この席でお小夜は清吉に一目惚れ、恋心を抱く。しかし、清吉には許嫁がいた。それゆえ純真な恋心は燃え上がってしまう。ところが、病弱な清吉は27歳で急死。深く悲しんだお小夜も朝里の浜に身を投げてしまう。お小夜の心を知っていた定山和尚は二人の地蔵を建立。今も太平山の横に二人の石地蔵が残っています。
  美泉定山
定山渓温泉の開祖として高名。岡山県生まれ。
17歳から修験者となる。40歳から蝦夷地を北上。張碓を拠点に布教活動と湯治場を開き、人々の身と心の平穏のため献身的な人生を送りました。
朝里でも人々に慕われ、太平山碑、お小夜・清吉地蔵、三太郎地蔵など多くの遺跡を残しました。常三、常山、美泉定山と名を変えて、晩年は定山渓の湯守となり、定山渓と朝里間の道路建設の夢を持ち、苦難の人生のなか、明治10年に小樽で没したと言われています。
  小林廣郷土史研究資料
小林定典氏は、父の故小林廣氏の郷土資料文献を編纂し、平成8年に「定山と定山渓」、平成14年に「いなりの坂」の2冊の朝里郷土史を出版。地域の郷土史愛好家に高い評価を受けました。「いなりの坂」は「朝里のまちづくりの会」事務局で実費頒布販売しています。
(2000円  0134-51-2121へ)
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